トキドキうめぼし庵 97
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- Опубликовано: 7 ноя 2024
- こんにちは、宝光寺の潮叡です。
具得の解説でもあり、これまでの仏道への誤解を改めるお話しです。
業の話し。
業とは、行為・行いそのものと、その行為によってたましいに記述されるもの、
この二つの意味があります。
聖なる行為を為せば、生命力が与えられ、たましいが軽くなる。
そうではない行為は、生命力が奪われる、消費され、たましいが重くなる。
行為とは他者に働きかけるものですが、同時に自分のたましいにも作用するわけです。
そして、聖なる行いとは、言葉やすがたという形にしたものを、その通りに実行する。
これがワンセットで生まれる。
良い例が、お包みの面の体裁なのですが、
私は昔から、
「おかしいなあ、おかしいなあ」と首を傾げつづけてきました。
のし袋に、水引きという、中央に左右から線がはいっていて、
真ん中で結び目がある、それが固結びになっているものと、蝶結びになっているもの、
他にもありますが、大きく二つに分かれます。
この結び目には、大事な「誓い」が込められている。
何もないなら何もない意志が籠る。
固結びには、「もうこれっきりです、2度目はありません」
蝶結びには、「ご縁が切れることはありません、ずっとです」
というメッセージ、意志、誓いが籠る。
だから、固結びは、お葬式と結婚式、そして縁を切るとき。
それ以外は蝶結びというのが、正確です。
しかし、お寺へ差し出すお包みのおもては固結び。
お菓子屋さんへ行って、お供えを買う時、
「どちらへご進物ですか?」と聞かれ、
「お寺」と答えると、100%固結びののしをかけられます。
お寺さんでも心得のない場合があるので、
正確に包んでいって、誤解されるという、こまったこともおきてしまう。
大事なことは、言行一致ですから、行為と志しを一致させる。
これが一致しないことを、心理学ではダブルバインド(二重拘束)と呼んで、
精神疾患になる原因としていますから、
とても大切なことと申し上げるのです。
これは自分を縛り付けて苦しんでいる状態から抜け出るために、
良い用い方もされてきましたが、それは専門知識があってのこと。
薬は毒にもなる、毒は薬としても用いれるお話です。
近代社会とは、精神と肉体を意図的に乖離させ、
それが上手にできる人ほど良き人材と認められるという特徴があります。
これが人格喪失へと進むことでもあるのですが、
社会の中で真面目に生きる人ほど、おかしくなる。
だから、私のような、ほぼ社会の外にいるような人間が役に立つのですが、
この意味がわからないほどに社会病理は進んでいる。
「社会の外にいるような」とは、社会秩序から見たらおかしいということです。
いまや、宗教の中にまでもそれは侵食していて、聖なる働き、生命力をあたえる役目を失っている。それどころか、教えに記される言葉通りに実行するから救われるという、
利己的信仰しか教えず、さらに力を吸い取る。
その代表例としてお釈迦様が示したのが提婆達多でした。
ここでお話ししているのは、そうではありません。
自らが誓うという行為とそれを実行するという行為、それで完結する教えです。
これが本当の仏道。たましいに記述される業が起きない信仰です。
まず、この言行の一致、ダブルバインドにならない方法を実践し、
身につけることから、自由への歩みははじまります。